【ちょっと小話】好きをためること、人生のこと
“時を恐れないでほしい
できたら
からだの枯れるときは
魂の実るとき
時計では刻まない時間を生きて
目に見えぬものを信じて“
好きを貯めていくのは、わたしが生きた足跡を残していくような感覚。
わたしは、死ぬことっていうのは忘れることな気がするのです。
さようならと決めなければさようならではない気がします。だって忘れない限り生きていることができるから。
もう、今どうしているのかわからない人がいます。時々ふっと思い出して、もう連絡はとれない、消息もわからない、けどどうしているかな?って。
その人は、わたしの中で生きてるってことになるの。
細胞って毎日生まれ変わっていくっていうよね。
だったらもしかしてこれまでわたしは何回も生まれ変わっているのかもしれない!
昔のことを思い出すとなんだか自分のことなのに自分のことでない感覚になることがあるのは、そのときの自分とは今が違って、生まれ変わったからかもしれないなあと思う。
全部を覚えていくことはできない。
だけど、忘れたくないことや好きなこと幸せだと思ったこと、そうゆうことを積み重ねていって、最後の最後、
”からだの枯れるとき”
には、わたし幸せだったなぁっていっぱいの好きに満たされた気持ちでいたいなあと。
だからね、嫌なことは残したくないし
好きを詰め込んでいきたいのです。
ちなみに、冒頭の詩は
谷川俊太郎さんの
『できたら』
という詩です。
言葉って、素敵だなあ。